【新唐人2012年9月22日付ニュース】中共政府系メディアは9月に、釣魚(尖閣)島を利用して、愛国情緒を煽動し、軍も強硬な態度を見せました。釣魚島は中共にとって、どんな意味があるのでしょうか?中国の歴史学者・雷頤が微博で秘密を漏らしました。
本日のマイクロニュースです。
中国と日本が釣魚島問題で張り合っているとき、歴史学者・雷頤が微博にこう漏らしました。「1969年の九大開催前、文革の派閥闘争は極めて深刻だった。多くの地方で二つの派閥が武力闘争をやっていたため、九大の開催が困難になった」。 1969年3月、珍宝島では中ソ間で小規模武装衝突が発生しました。毛沢東は戦争をすると言って、迅速に派閥組織を取り消し、4月に開催予定の九大のために条件を整えました。
雷頤の微博はネット上で、異常なほど人気を集めました。他のネットユーザーも当時を振り返りました。「1969年3月、『打倒ソ連』のデモに参加し、一ヵ月後には中共第九回大会の円満開催を祝うパレードに参加した」。雷頤の微博から分かるように、「釣魚島」は1969年の「珍宝島」と同じ役割を果たしています。これは中共が十八大から視線をそらし、「団結」の様相を作り出すためです。雷頤の微博はすぐ新浪から削除されました。
釣魚島危機勃発後、中共軍隊は大規模な動きを見せており、実に1969年の「備戦」のようです。南京、広州、成都、済南の四大軍区では9月に実戦演習を行いました。ネットユーザーからも軍隊が異常であると書きこまれ、装甲車や戦車、自走砲などが街頭や駅に大量出現しているのを目撃したそうです。
毛沢東は「九大」で、ソ連を外敵に作り上げた以外、内部の敵―劉少奇をわざと残しました。十八大開催の前夜、王立軍の米領事館駆け込み事件は薄熙来と周永康の習近平排除の陰謀を暴き出しました。今回の「内部の敵」は言うまでもなく薄熙来です。新華社は9月19日、王立軍案件の詳細経緯を報道し、「重慶市委主要責任者」薄熙来に矛先を向けています。薄熙来が刑法による処罰から逃れられるのは難しいでしょう。
今日のマイクロニュースはここまで。
(翻訳/坂本 映像編集/工)